** ナチュラルさん。

空気が凛として秋の要素がたっぷになってきました。彼岸花、コスモス、ススキ、稲刈り、幸せな気分でお仕事のできる季節です。トドメはアトリエ中にキンモクセイの香りが充満していることです。なんてすばらしい! 先日、久しぶりに自転車を出してきてお買い物に行きました。加茂町にこんなにも彼岸花が咲いていたなんて、今まで気づきませんでした。なぜだろう。アトリエの目の前の田んぼにも咲いているのに!今まで何を見ていたんだろう、ああ、過去のあるみよ・・・。
ところで、今年の春頃からアトリエと自宅のお掃除を重曹とクエン酸に換えました。こんな環境の中で生活できるとこに喜んでいる反面、生活排水が大好きな木津川へ流れていくのや、家庭用洗剤で掃除をした後の洗剤独特のニオイや流し残しなんかも気になっていたしで、いろいろ腑に落ちないことがあったのです。なんで、家庭の要所要所にそれ専用の洗剤が必要なのか・・・。意味不明でした。それでないときれいにならないなんてウソだー!と思えてならないのです。そこで以前から気になっていた重曹とクエン酸の関係をちょっと勉強してみたら、これ、いけそうやん♪という感触をつかめたので、さっそく切り換えることにしました。クエン酸はお酢でもよいということで、どちらにしようか迷いましたが、酢の物からお風呂やトイレを連想するのはいやなので、クエン酸になりました。ダンナどのは「お風呂で寿司食ってるみたいで良い!」なんてのんきなこと言っておりましたが、あえなく却下。
自宅とアトリエからありとあらゆる洗剤が消えました。今では重曹とクエン酸スプレーがスタンバイしているだけです。重曹ってば洗浄効果だけでなく、消臭、除湿、アロマオイルを混ぜておくと芳香効果まであって、それだけのものをそれぞれ買って置いてあったとしたらどんだけごちゃごちゃするだろうと思わずにはいられません。台所もお風呂もトイレも食器だって窓だってこの2つで家中ぴかぴかになるんです。びっくりします。だって洗剤いらずなんですもの。夢中でごしごしこすって飛び跳ねて、洋服についたり、皮膚についたり、目に入ったりしたって大したことなんにもありません。流せばいいだけです。お掃除の後の気になる洗剤のニオイだってありません。気分いいです。何よりも使っていて安心です。そして排水も混ざり物ナシです。
この夏、arumitoyは例年のように長期不在でした。あるみ氏は旅にでないと制作できないヒトなのです。旅にでてアタマの中をリセットし、新しいインスピレーションを得るのです。毎年ドイツを始め、暑い夏の間、制作の旅と称して出かけるためアトリエをお留守にしています。今年はダンナどのに連れられてカナダ・アラスカのユーコン川をカヌーで下る旅を展開しました。余談ですが、ダンナどのは「職業:旅人」みたいなもんです。その旅の最中もずっと重曹を使っていました。川旅ですから、川面を流れて岸に上がってキャンプしての繰り返しです。食器洗いにはもちろんのこと、お湯を沸かして重曹をとかして体を拭くのにも使っていました。排水は川に直接流れないように土を通します。大地がフィルターがわりです。食事のあとの油のよごれも重曹が分解してくれるので、川を汚さずにすみます。そんなところに洗剤で泡だらけの油まみれの水なんて流せませんもの。もちろん生ゴミ以外は次の町まで持って移動です。やはり「ほぼ夏の間」という長期の旅になるとそういうことを気にせずにはいられませんでした。今回重曹に換えて本当にすばらしかったです。何よりも、自分自身が楽でいられました。自然の中に入って楽しみたいのなら、入らせてもらえるような、害のない人間にならないとな〜思いました。それは旅に出るとか出ないとかの問題ではなく、普段の生活の中にあることだと思えるのです。ここでの気ままアトリエ生活を続けることや、旅をする夫婦であるために。ドイツ生活で身についた姿勢がまた芽を出した感じです。ナチュラル生活の事を考えるとき、いつもドイツのことを思い出すのはやっぱりあるみ氏の根底にしっかりと何かが根を張っている証拠かもしれません。
(update 2007.10.13)

** 迷えるワカゾウたち。

arumitoyオープン当初から時折アトリエには迷えるワカゾウがやってきます。みんなそれぞれの理由でやってきます。でも共通して言えるのは、自分に正直に生きようとしているということです。見えない壁に対して試行錯誤し、いばらの道をかき分け進もうとしている姿は、同じようにワカゾウだった頃の自分と重なります。あるみ氏と同じようにおもちゃ作家になりたい子や、雑貨アーティストになりたかったり、デザインや絵やらランドスケープやらがやりたかったりと様々で、それぞれにおもしろい構想話を聞かせてくれます。それから「今」の話も聞かせてくれます。なぜなら彼らは「今」と、構想のある「未来」をつなげるための道を探しているのですから。
そしてここにたどり着いた。んだそうです。その行動力を「良し」とし、彼らを奮い立たせるために一丁やってやるか。と思うのです。
行き着くための道は一通りだけではないはずで、でも自分に一番合った道というものもあるはず。考えられる可能性を並べてみると、もう答えは出ているようなもんです。本当は彼らだってなんとなく自分でも分かっているんです。迷っているならやってみればいい。そう言ってあげると下を向いていた顔が上がってきます。やり方が分からないならば、一緒に考えてみる。そうすると思いもよらなかった方法が浮かんできたりして、笑顔も見え始めます。
浮かないカオでアトリエのとびらを開けた彼らが、「今日ここへ来てよかった!」と笑顔になって、元気になって帰って行くのを見ると、いやいやアンタたちこそ、こんなとこまで来て、そう言ってくれて嬉しいよ…と密かに思うのです。そんだけの行動力があるならば、デキルと思うよ。がんばれワカゾウ。そんなに深く考えずに、行動を起こすことの方がモノゴト解決できたりします。ある男の子が「あ〜オレもそんな風にモノゴト考えられるようになりたいなー」と言っていましたっけ。賛辞として受け止めますが、あるみ氏はそれで大いに救われてきたんですもん。「頑張っている人間を周りは絶対に放っておかない」あるみ氏がワカゾウだった頃に言われた言葉ですが、本当なんですよ。やることやっていれば、誰かしら手を差しのべてくれるものです。いろんな人に助けられて大きくなりましょうぞ。
ワカゾウがやって来ると初心に戻れます。自分を振り返るきっかけになります。そして、彼らに負けずに精進せねばと思うのです。オープンから3年が経ち、4年目に突入しようとしています。早いなぁと嘆いてみても始まらず、残してきた足跡だけはしっかりと確認できてしまいます。
先日、ある女の子から連絡がありました。会社に就職してやりたいことをやっているそうです。採用の時に、こうゆうことがやりたい!と会社に言ったようです。その彼女から取材依頼がありました。彼女はアトリエにやって来た迷えるワカゾウ第一号なのです。
めっちゃくちゃうれしいけど、正直焦ります。人をアオって元気づけるのは簡単だけど、その成長速度にこっちの精進速度がついていけない…。恐るべしワカゾウよ。お手やわらかに。そしてあるみ氏は精進精進‥‥。
(update 2007.02.12)

** 思い立ったが吉日。善は急げ!

という訳では全くもってないけれど、周りの目にはそんな風に見えるのかも。実はつい最近、結婚しました〜。これからは多胡歩未(たごあゆみ)となります。名前が変わるとある日突然「知らないヒト」になってしまうんですねー。正直、本人も動揺しています。結婚したから多胡歩未だけど、そんなこと言ったって誰にも分かってもらえない。そこで、前田歩未ですと言ってみる。そうすると話はすんなり通るけれど…。 
まだドイツにいた頃、ノベルトと結婚と姓について話したことがありました。ノベルトは男性だから今まで深くは考えなかったみたいだけど、「オレは死ぬまでこの名前がいい!」と言っていました。あるみ氏は結婚したら当然苗字は変わるでしょと思っていました。うまく言えないけれど、それこそが「結婚」そのものを感じられる手段というか、けじめというかなんというかそんな感じ…。要は「転機」を自覚できる気がする。何しろあるみ氏は新しい環境というものがとても好きなので、身辺がいろいろと変わってほしいのです。それにも関わらず、この新しい名前には苦戦を強いられているんですねー。まさに、ノベルトは「ある日突然知らないヒトになるのかー!?」と、オレにはムリだ〜!というオーラを出していました。 でもまぁ、この苦戦も最初だけ。10年経って、20年経って誰が前田歩未を覚えていましょう! そう考えて夫婦別姓の案は一蹴してしまいました。
さてさて、これからどうなるのかというと、あるみ氏は今までどおりarumitoyのおもちゃ工房でお仕事です。何にも変わりません。場所もそのまま。環境が変わるのは好きだけど、ここはダンナどのの好意に甘えてしまいました。アトリエは動かさなくていいよと言ってくれました。ダンナどのは(も!?)フリーでお仕事しているので、arumitoy工房の2階のお昼寝スペースを一部お仕事場として使うことにしたのです。あるみ氏は階下でダンナどのは2階でお仕事です。そしてこれからどんな「珍」な話が出てくるのやら。
arumitoyをオープンさせて3年目になりましたが、最近になって改めてここの自然の魅力をしっかりと感じています。確かに初めてこの地を訪れた時は、あまりにも自然が自然に存在していることに感動しました。当初は移り行く四季を感じながら楽しんだものでしたが、慣れとは恐ろしいものでそこに感動をおぼえなくなっている時期もありました。ところが嬉しいことに、この冬ごろからまたここの自然に目を奪われる日々が復活してきました。アトリエの周りには、山があって川があって、畑や田んぼがあります。冬には雪が降り、山から下りてくる車は雪をたんまり積もらせ、車もバスもチェーンを付け、山肌のお茶畑がきれいに雪化粧していました。寒さもやわらいだ頃、木々のつぼみがふくらみ始め、梅、モクレンを筆頭に桜やはなみずきで華やかになります。我木津川(勝手に所有している…(笑))の土手にある老木の桜は今年も見事に満開で、よくぞ生きておられた!としみじみ眺め、葉桜になるころには山々にぽこぽことピンク色が見え始め今度は山桜の舞台になります。アトリエの窓からぽこっと見える山桜が大好きで、2階でちょっとごろごろしながらボーっとそれを眺めるのが密かな楽しみなのです。山桜のピンクが緑色に変わる頃、山々が強烈な黄緑色に侵食されていきます。新芽が競争でもするかのようにどんどん広がって、いい匂いがします。その頃はだいたい5月の始め。お茶農家が忙しく動き出します。近くまで行くとお茶の香りで腰が抜けそうになってしまうぐらいです。連休あたりになると、普段はプライベートリバーと言えるほどにひと気のない我木津川に人々が涼を求めて水遊びにやってきます。山々の黄緑が落ち着いた頃、里では田んぼに水が引かれ、田植えが始まります。夏にはかえるがげろげろなき、木津川には蛍が飛び、畑の野菜は色鮮やかで、日が短くなってくる頃にはあちこちで稲刈りが始まって、そうこうしているうちに目をみはる紅葉に囲まれたら、arumitoyはクリスマスに向けてバタバタしだすのです。
あぁ、なんて素晴らしい環境なんだー!と最近つくづく思えるのです。こんな風に思えるのは、新しい人生が始まることへの心境の変化のおかげなのかもしれないですねぇ。環境が変わらなくたって、今まで見ていたものの見方が変わることは大いにあるんだなぁと知りました。
まぁ、そんな訳ですので、新しくなったあるみ氏をどうぞよろしく。
(update 2006.06.05)

** 2006年が始まってしまった。

ドイツから帰国して、案の定2005年の残りが一瞬で過ぎ去ってしまいました。帰国直後の9月には新作つぃくつぁく・ばんぴーが誕生し、制作の毎日を送っていました。10月はワークショップが2件ありました。いつもとは違うお仕事が新鮮に感じたものです。11月はクリスマスへの追い込み制作で日々は過ぎ、12月には今年で2回目となったクリスマスフェスタを開催しました。そうして気が付いてみれば年も明け、今年も12分の1が終わろうとしています。
あるみ氏は、この冬を実はちょっぴりドキドキしながら向かえました。なぜならarumitoyのアトリエが進化しているからです。去年の冬はアトリエが寒くて寒くて薪ストーブの前から離れられずにいました。元倉庫なので、仕方がないと思っていましたが、なにしろ室内にして風を感じていたし全くといって良いほど保温性がありませんでした。そして足の指にはいくつもの巨大しもやけをこしらえてしまいました。これでは冬ごとに仕事にならん!という訳でアトリエ改造計画を実行したのです。
計画の基本は「自力」です。もちろん身近な人々の「手」は貸していただきました。でも業者さんには頼みません。材料調達から始まって事前準備も作業自体もなんとかなる範囲でやることにしました。そうすると、なんとかなってしまうものでした。まず初めに構想を練ります。どこをどうするか。どの部分にナニを使うか。どういう風にやればいいのか。を考えるのです。壁には断熱材を入れ、表にはヒノキ板を張ることにしました。天井は生成りの布に断熱効果を持たせる為のアルミホイルを貼り付けることにしました。
一番初めにやった事は、生成りを天井の大きさに縫いました。4m×10mの大きさです。それからアルミホイルを貼り付け、ホイル付き布を作りました。ものすごーく大きな布で一度に作業する事はできないので、少しずつ少しずつロール状にしながらの作業でした。アルミホイルってぺらぺらなヘロヘロな「箔」だけど、やっぱり金属なんですねー。あれだけの大きさになるとものすごく重かったです。壁の作業はというと、外壁一枚しかない事が暑さ寒さの原因なので、内壁を作ることです。骨になる部分を確保し、骨と骨の間に断熱材を入れていきます。そしてその骨の上に板を張っていくのです。そうすると、外壁から断熱層を経て内壁になるので保温性がでてくるわけです。巾約15cm×2mのヒノキ板200枚ほどで完成しました。それから最後に、先に作っておいた天井の布を張りました。工事期間2週間ですべて完成です。いやいや楽しかった。手伝ってくれたみなさまどうもありがとうございました。
そんなわけで、なんとかなったアトリエで今年はしもやけを作らずに済んでいます。ヒノキの壁はとても落ち着く空間を作り出してくれました。arumitoyはもうすぐ3年目に突入です。こうなってしまったら、この先はさらに予想がつきません。またナニを思い立ってナニを始めるか誰にも分かりません。でも、そうでなくっちゃと思います。日々を楽しみながら大切に過ごしていたいと思うのです。
(update 2006.01.30)

** ドイツレポート2

ろくろの修行に精を出しています。ドイツ生活も残り10日を切り、練習も追い込みです。思うように形が作れるようになったので、面白がって練習しています。ろくろ師から譲り受けた刃物は自分で研げるようになったし、ノベルトの古い古い旋盤(ろくろマシンのこと)の勝手もつかめてきたし、鉄マイスターがわざわざあるみ氏の為にあつらえてくれた旋盤の足りないパーツ(何しろ古いマシンなので)も使いこなせるようになったし、回りもののたちと相性が良くなってきました。新しいパーツと意気が合うまでは何度もケガをしたし、古いマシンは中心がぶれるしで、なんだか暴れ馬と格闘しているようでした。練習の後はナイフとフォークが異常に重く感じたり、手に力が入らなかったり、腕がしびれたりと、どうにかなっちゃうんじゃないかと思いもしましたが、毎晩の練習が功を奏し、旋盤に関しては「できる」と言えるようになりました。
さて、技術を身に付けたはいいけれど、これからそれをどうやって活かせばいいのものかと、もっぱら思案中です。ただの技術なら、頑張れば身に付くのです。それをどうにかして自分のものにしないといけません。秒読み段階に入ったこのドイツ生活が終わるまでに、なんかいいこと思いつかないかなぁ〜。などと願ってみたり。
今年のドイツの夏は残念ながらハズレでした。ヨーロッパの天気はとても不安定なのですが、まさに天気に振り回される夏でした。からっと快晴な夏日は2ヶ月滞在中にトータルで2週間あったかなかったかというぐらい。大半の日々は、気温は低く、雨、風、雷、たまにヒョウ。セーターを着ている日々もありました。もちろんそんなものを持ってきていないので、長女レーナからお借りしました。ノベルトに、「毛糸の靴下、持ってきていないのか!?」などと聞かれ、「気温36度を超える中パッキングしてたのに、なんで毛糸の靴下がさわれるの!?なんで夏にそんなものを…。」とブツブツ言っていたら「まだドイツが分かっていない!!」と言われてしまいました。来年また来るとしても、最高に大当たりの夏を願って、毛糸の靴下は持ってくるまい。(笑) とは言え、レーナに借りたセーターはとても気に入って毎日のように着ていたら、アネマリーに「それ、いつか脱ぐ気ある??」と笑われてしまいました。帰る時には脱いでちゃんとお返ししますよ。
冷夏のおかげで8月末にして、りんごやナシが落ち始めました。本来なら9月下旬なのに。日はどんどん短くなってあっという間に冬が来そうです。9月はじめに帰国して、遅い夏を少しだけ体験しようと思います。でも猛暑は収まっていますように〜。
(update 2005.08.24)

** ドイツレポート1

この夏、アトリエを閉ざして何をしているかというと、約2年ぶりにドイツにやってきています。ココでしか制作できないかせきごっこを作りに来たのはもちろんのことですが、今回はろくろ技術を身に付けて帰りたいと思っています。ただ、ノベルトはろくろのプロじゃないので、ろくろ師のところで新たに修行です。果たして技術を習得することはできるでしょうか。夏が終わる頃には答えが出ているでしょう。
さて、正確には1年と8ヶ月ぶりのドイツは変わらずここにありました。街も匂いも自然も人もみんな。ただちょっぴり人は大きくなっていて、でも中身のホントの部分は変わっていなくて。そしてみんながみんな「おかえり」と言ってくれました。
ノベルトのアトリエも昔とおんなじ匂いがして、でもさらに進化していて、新しいマシンが増えていたり、増築されていたりと前とはちょっと違っていました。でも、これら全部ノベルトが自分でやったんだなぁということは簡単に想像できました。いざ仕事を始めてみると結構忘れていることが多くて、「なんだ、もう忘れてしまったのか!?」と言われる事多々。日本での気ままアトリエ仕事に慣れっこになってしまっている身には、ノベルトの下での10時間労働はあるみ氏を早々に眠りに誘います。ノベルトのお手伝いをする日とarumitoyの仕事をする日は、アトリエの状態や状況によって臨機応変に決めます。こういう事ができるのはノベルトのアトリエならではかなと思います。ノベルトとだからこそ出来る事なんだと思えます。過去の2年間があるからこそ、今ここにいる。自分のやってきた事が今モノを言っているようで、間違ってはいないことを教えてくれている気がします。
ドイツの経済状況は以前よりも悪くなっていました。たくさんの会社は潰れ、若者の就職難は過去最悪で、失業率も上がり、1ユーロショップができ、市場には低品質低価格のものばかりが出回っている事態です。これに伴い、ドイツの誇る職人達は職を奪われてしまいました。一流の技術を持った職人達は、今や他の仕事を探さなければいけなくなっています。あるみ氏が以前にお世話になったろくろマイスターも今では副業程度になってしまっています。なんとも悲しい話です。
クリエイティブを仕事にするには、人並みでは生きていけないという事を強く感じさせられました。一流の技術を持ち合わせていても、それを上回るオリジナリティーを表現できなければクリエイターにはなれはしない。自分にしかできない事をやりたいと常々思っているあるみ氏はどこまで進むことができるでしょうか…。久々のドイツはそんな事を考えさせてくれました。
(update 2005.07.20)

** 恐ろしいバンドソーの話

はじめてバンドソーが怖いと思いました。今まで何の恐怖心もなく、木球の切断というかなり危険な作業をやってのけていた自分がちょっと信じられません。危険な作業であることは分かっていたのですが、怖いと思った事はなかったのです。というより、「怖い」と思ってしまったら最後だという事を知っているから、怖くはなかったのかも知れません。だって、怖くてバンドソーが使えなくなる事のほうがよっぽど怖いし・・・。
今日は、クォーターの制作の為、木球の切断をしていたんです。ちびのクォーターは半球を半分に割るだけなのですが、親クォーターは球の状態から4分の1まで切断しないといけないんです。すなわち、一度、半球にしてからもう半分に切るんです。と書いているだけで結構イヤな感じです。あんまり考えたくない場面です(笑) 今使っているバンドソーは、(正確に言うと、アトリエの大家さんに借りているバンドソーなんですが)ノコ刃の幅が6〜7cmぐらいあって歯も粗いので、見るからに危険マシンです。帯ノコってのは昔から「危なそうだ!」とは思っていたのですが、いつのまにか「大丈夫!」に変わっていました。ナゼだろう・・・。
球体の一部を削って平らを出し、”危険マシン帯ノコ”で半球にしていました。今までは出来ていました。それなのに、今回はたてづづけに3つ失敗し、ちょっと気合を入れなおしてまた作業を続けていたのですが、さらにもう一度失敗してしまったので、それ以上その作業を続けるのは止めました。失敗するとどうなるのでしょう。変な風に切れてしまうなんて、そんなモノは失敗とは言いません。arumitoyに限って言えば、それは「味」として容認されるものです(笑) バンドソーVS球に於いて失敗とは、下手すると体の一部が欠如します。少なくとも球が飛びます。高速回転しているものは侮ってはいけません。
今回をもって、球体を切断するのは止める事にしました。あるみ氏にはもうできません。これからはちびクォーターの様に半球から作ることにしました。木目が全部揃っているのが好きだったんですが、指がなくなる心配がない方が好きかな(笑)
この作業は実は、ドイツにいる間からずっと懸念されていた事で、ノベルトの心配の種でもありました。いく通りもの試行錯誤を重ね、こういうやり方に至っていたのですが、圧倒的な違いはノコ刃の幅でした。ノベルトのところで使っていたバンドソーの刃幅はせいぜい1〜2cmで、さほど危険なマシンではないのでした。ちなみにそこでの危険マシンは昇降盤です。当初はこれで木球の切断をしようとしたこともあったのですが、ボスストップがかかり、禁止になりました。絶対にやるな!と言われました。これからずっと作り続けていたいのなら、安全な方法以外は絶対にやっちゃダメだと言い聞かされました。ちょっとでも危険を感じるのなら、やるべきではないと。100回でも10000回でも成功したとしても、たった一度上手くいかなかっただけですべてが終わってしまうんだから。この言葉がずっとアタマの中を回っています。あぁ、ノベルト、ごめんなさい。
今日まで事故なくこられたのは、奇跡のような気がしてきました。なんて危ない橋を渡っていたのだろう。今度ドイツに行っても、ノベルトにこの話はすまい(笑) いつもマシンに向かう時は、最初、一呼吸おいてマシンを征すぐらいの意気で向かい合います。そうしないと、マシンにやられてしまうのです。とは言いながら、作業中は絶好の「思考時間」なので考え事は必ずといっていいほどしています。目と手は別々に動くからですが、頭があまりにも思考の方へ行ってしまうと手元で何かが起こっています。ほかの事を考えすぎて、「目」がサボっている時はよくモノを飛ばしています。サンダーの流れと共に流してしまったり、ドリルの刃と一緒に回転させてしまったりと。危険レベルに合わせた警戒網しか張っていないと言いますかなんと言うか。それでも、バンドソーVS球の時はかなりの緊張をもって挑んでいたのですが、もうイヤです。(ちなみにこの場合は、考え事なんてもってのほかです)
という訳で、あるみ氏はちょっっぴりバンドソーを警戒しています。ほんのしばらくの間だけ。もう二度と球体をバンドソーの元へは持っていくようなことはしないでしょう。
(update 2005.05.31)

** arumitoy1周年。

アトリエがオープンして今日でちょうど1年が経ちました。まぁ、早いもんです。びっくりします。春までもうちょっとというこの時期はまだ寒い日々でした。薪ストーブもなく体を動かして暖をとっていましたっけ(笑) 閑散としていた場所は、今ではマシンが日々稼動し、まったりごろごろできる秘密基地(2階のお部屋)があって、いつでも人が訪れられるミニミニギャラリーもできました。倉庫でしかなかった建物がアトリエとして機能するようになったんですから、そりゃたくさんのことがありましたさ。でもまだまだ進みます。やりたいと思った事は片っ端から手を出してみます。そうすると、楽しいんです。これからどんな風に展開するんでしょうね。全くもってナゾです。来年の今ごろ、どこでナニをしていることやら。
冬ももうすぐ終わりというこの時期、あるみ氏はアトリエで小さな楽しみを見つけました。薪ストーブ料理です。朝アトリエにやって来て、お昼ご飯を仕込むのです。最近は薪ストーブとお友達です。かなり仲良くなりました。火加減の調節も大分上手くなりました。基本はひとつ鍋料理です。朝、火を付けてお鍋を置いて仕込んでおくと、お昼にはいい匂いをさせあるみ氏を待っていてくれます。なんて贅沢なんだろう!ストーブは200℃以上あるので、なんでもできます。じっくりじわじわできてきます。アツアツコーヒーや紅茶はもちろんのこと、目玉焼きもトーストもへっちゃらです。お餅も焼けるし、リゾットもスープもお雑炊もなんでもござれ。フレンチトーストを浮かべたスープなんて、なんだかカフェでランチしている気分です。そうしてまた午後からお仕事頑張るのです。ドイツにいる時から、自分のアトリエには必ず薪ストーブを置くんだ!と決めていました。でもこんな楽しみが手に入るなんで、ちょっと計算外〜!嬉し。
これも、1年前では考えられない状況です。薪ストーブの煙突用に開けた壁の穴から吹く風が寒くて恨めしかったのを思い出します(笑) 薪ストーブのある今も、この建物は屋内のくせに通気性がよすぎるのですが・・・。
それでも、そんなことより楽しくて嬉しいことの方が勝ります。ギャラリーに遊びに来てくださる人々とお話したり、励ましのメールをいただいたりと、もう「一人ぼっちの制作」ではなくなってきました。その分責任も感じますが、喜びの方が大きいです。最近、「おもちゃをつくっていて、嬉しい事はなんですか?」とよく質問されます。なんだろ、なんだろ。と考えた末、いつでも行き着くところは同じでした。いつも気になるのは、arumitoy達のその後です。いつかどこかの街で偶然出会う事ができたらどんなに嬉しいか!ふらっと入ったお店でお出迎えしてくれたり、おんぶされた赤ちゃんが握りしめていたり、はたまた泣きじゃくるガキンチョをあやすのにお母さんが使っていたり・・。
どう考えても、一番嬉しい事は、arumitoyのアトリエを巣立っていったおもちゃ達のその後の物語を知る事でした。
(update 2005.03.01)

** クリスマスフェスタ裏話。

アトリエがオープンして初めてのクリスマスにオープンギャラリーとしてアトリエを開放しました。
動機はなんでしょうねぇ。何か楽しい事をやりたかったんですよ、きっと。せっかく自分の「場所」を持っているんだから、そこで楽しい事をやってしまおう!という半ばノリで決めたことでした。(思いついて、試しに友人知人3人ぐらいに言ってみたら、あるみ氏そっちのけで盛り上がってしまったという事実もあり)アトリエフェスタ企画の発案はクリスマス3ヶ月前。具体的に構想を練りはじめたのは半月前、実際の設営作業に入ったのは3日前。もちろんやる気マンマンで臨んだ事です。でも最後はやっぱりぎりぎりでした。あるみ氏だからしかたがない。でも、アトリエは以前とは比べ物にならないぐらい見違えたのです。手前味噌で申し訳ありませんが・・・。
空間を手作りするのは、おもちゃを作るのとはまた違って、とても新鮮でした。大掛かりな設営工事からデコレーションまで一人でやっつけました。だから楽しいのです。「あるみが一人でやったのよ〜!」と言いたいがために、いつも頑張っているのです。でもでも周りのみんなの協力なしには成り立ちませんでした。フスフスやクォーターにかぶせるぼうしやマフラーを編んでくれたのは親友の、さえです。忙しいのにあるみ氏のオーダーをさばいてくれてどうもありがと!フェスタ中に遊びに来て、薪ストーブの前で編物していたのが、さえです。あるみ氏のお仕事中に遊びにきて、横でアホ〜な話をして気分転換させてくれるのもさえです。煮詰まった時はいつもさえと話します。感謝してるよ。
それから、ディスプレイにも大活躍で訪問者を驚かせていた巨大松ぼっくりを拾って来てくれたのは、小学校時代の恩師です。今回、先生は大活躍でした。京都新聞の記者さんが取材に来た時にたまたま居合わせた先生は、あるみ氏の背後に一緒に写るように言われ、手持ち無沙汰にスレンダーブロックであそんでいるフリをするハメになりました。あるみ氏が糸鋸を前にナゾな笑みを浮かべているのは、そんな状況に笑わずにはいられなかったということです。先生からの授かりものは松ぼっくりだけではありません。アトリエのまん前で鎮座している看板の一枚板は先生がアトリエオープン記念に譲ってくれました。(先生の自宅で雨ざらしになっていた事実は伏せる(笑)そこにロゴを作って張り合わせたら立派な看板になりました。先生はアトリエに来るたびに、「この看板がやっぱり一番いいなぁ〜」と言うけれど、フェスタの時は、「やっぱり看板と松ぼっくりが効いているなぁ」と言っていました。ちなみにもう一つ、先生のお下がりのイーゼルももらってしまったんですが、これは現在製作中の常設ギャラリーが出来上がったら日の目を見るでしょう。そしたら、先生の「いいなぁ」にもう一つイーゼルが加わることでしょう。先生、感謝してます。いつもの差し入れのブルーベリーのケーキもまた待ってますよ!(笑)
フェスタの裏話は尽きません。実際どこが裏でどこが表なのか、もうよく分からなくなっています。たくさんのことがありました。全部ちゃんとアタマの中に記憶してあります。遠方からわざわざ来てくださった方々もたくさんいらっしゃいました。本当に嬉しい限りです。自ら作ったクリスマスはステキに幕を閉じました。それはやっぱりみんなのおかげです。一人じゃ何もできないんだ!
(update 2005.01.13)

** 新入りマシンのこと。

アトリエに新しいマシンがやってきました。身長200cm以上ありそうな集塵機です。思ったよりも大きくて、ちょっとびっくりしています。もう一回り小さいやつにすれば良かったかな・・?とも思ってしまいましたが、以前にボスに相談した時にあっちよりこっちがいいと言われたので言われた通りにしたのです。何に違和感を感じているのか考えた末、その胴回りだということが分かりました。ボスのところで使っていた集塵機と身長は変わらないのですが、今アトリエにあるのはそれよりも倍ぐらい太いんです。おデブさんです。その代わりがっぽがっぽ吸ってくれます。サンダー作業も随分快適になりました。
集塵機くんがやってきたら、アトリエは見違えるようにきれいになるんだと思っていました。そんな訳ありませんでした。誰かがやんないともちろんきれいになんてなる訳ありません。ちょいちょいちょいって紛塵を吸い取ったらきれいになるかと思ったんですけどね〜。
新しいと言う事は、マシンを組み立てて使える状態にしないといけないということです。こういう時ほど、誰かやってくれ〜!と思うことはありません。まぁ、壊れたときも誰か助けてくれ〜!と思うのですが。説明書を見ながら、自分よりも大きいものを一人で組み立てるのは大変です。そこのネジ取ってよ。とも言えません。力任せな作業工程になると、もう半泣きです。そうして出来上がった集塵機くんを見上げて、私はスゴイんじゃなかろうか!?と思ってしまいます。だって、モーター部分だけでも軽く30kgはあったはず。
そんな事を考えながら組み立てている時、ふと、「ああ、ノベルト(ボス)が言っていたのはこういうことか・・。」と分かったのです。こういう事、よくやったよなー。と映像が浮かびました。大きなマシンを挟んで、あるみ氏とボスが座り込んで作業している画です。むろんあるみ氏はポケーとしながらネジだのレンチだのスパナだのを渡すだけで、ノベルトが何をやっているのかは分かっていないのですが。そう、ノベルトの役が今回まさにあるみ自身だったわけです。しかも助手ナシ。
ノベルトは電気配線でもなんでも、マシンならお任せ修理しまっせ〜!というぐらい電化製品に強いんです。あるみ氏はまるでその逆。興味も沸かないから意味不明だし、学ぶ気もないという状態なのですが、呆れたノベルトが、ある日電源コードを分解して繋ぎ直すという作業をしながら「教えてやる!」と無理やりあるみ氏に説明し始めました。(既に覚えていない)その時最後に、「日本に帰って自分のアトリエ持ったら、こんな事もやんなきゃならないんだゾ!どうすんだ?」とボソっと言っていたのです。まさにコレだわ。と思ってしまいました。ノベルトの言っていた事は、電気に強くなれという事ではなく、すべてが自分の責任で動くんだゾという事で、一人でやっていくという事に責任が必要だ!と言いたかったんだと思ったんです。どれだけからかって遊んでも、やっぱりノベルトはあるみ氏のボスだな、と頭が下がりました。
(update 2004.11.26)

** ドイツ生活の総括

11月3日、ボス家の次女ノーラからメールが届きました。彼女からは頻繁に手紙やらe-mailやらを受け取るんですが、毎回、あるみ氏がいなくなって今日で何日目と書かれているんです。そして今回は365日目でした。そうでした。もうあれから1年経ってしまいました。あの朝、長女レーナとノーラの登校を見送った後、フランクフルトへ行きドイツを去りました。そのまま、ニューオーリンズのスーパーフレンド、ジェフェリーのところで10日間遊んだ後、帰国したのでした。1年も経ったとは思えません。ボス達とのお別れも、昨日のことのように鮮明に思い出せます。涙だって出てくるぐらい。
少しは前に進めているのかと問われれば、1歩か2歩は進んだんじゃないかと思うんですけど、まだもう少し時間がかかりそうです。その前に過去のことをしっかり消化して吸収しないといけないと思いました。
あるみ氏にとって、ドイツ生活の2年半は今までの人生で一番「濃い」時間でした。だから2年半すべての時間を鮮明に覚えているし、とても大事にしています。かなり貴重なことをしてきたと思っています。ドイツに行って、帰ってきて、何を得たかと言えば、具体的には「友達」です。しかも多国籍の。語学学校時代の友達とは、もう3年以上会えてない上に、みんな別々の国にいるので、今後会える可能性だってないに等しいけれど、未だに仲良ししてます。最初はコミュニケーションをとるだけで大変だったのに。(笑) 多種多様の人種が一度に集まるというのは、本当に面白いんです。めちゃくちゃですけど、その3倍面白いです。優とか劣とかあるわけなくて、好きなことを好きなように言いますし、やります。だけど所詮、みんな人間なんです。おんなじです。ベースは人間で、そこに文化だの習慣だのというお国柄がかぶさって、さらに個性がトッピングされて、もうそれはそれは、はちゃめちゃです。だから楽しいんですね。みんながみんな、同じことを考え、思い、行動したら、気持ち悪いです。狭くってちっぽけな人間ばっかりの集まりになってしまいます。大事な個性がなくなってしまいます。だから人種が交わるといういことは大切な事なんだと学びました。いつかこのことについて、ジェフェリーと話したことがあったけど、彼もおんなじ様なことを言ってましたっけ。
ドイツ生活で得た抽象的なものはといえば、「相手を理解しようとする力」です。恥ずかしながら、ドイツへ行く前はほんの少ししか持ち合わせていませんでした。言葉が通じない状態ではまず必要になりますが、そんな表面的なことだけでなく、内側の問題です。相手の個性を理解しようとすることです。そうするといろんな事が分かってきます。分かり合えるようになるんです。こうやって得たドイツの仲間達はみんなみんな、今すぐにでも会いたい人ばかりです。でも、これはドイツだからでも、外国人だからでもなく、誰にでもどこででも言えることなんですよね。日本にいてもおんなじです。こういうことに気づくことができたのは、全く別の環境に身を置いていたからでしょうね。だから貴重な経験だったと言えるんです。みんなにありがとうって言いたいです。海外の仲間達も日本の友人達も「帰る場所」を与えてくれてありがとうって思います。
人間って個性があるから本当に興味深い生き物だと思うんです。おとなでもこどもでも。もっともっと個性を活かしてのびのびできないもんだろうか・・。といつも思います。日本にいてちょっとだけ寂しいのは、「みんないっしょ」がマイナス方面に影響していることです。みんなでのびのび生きたいなぁ。
「個性的。」ステキな言葉だと思うんですよね。arumitoyであそんだ子が個性的な子に育ってほしいな。
(update 2004.11.05)

** 木のおもちゃに想うこと。

木のおもちゃのいいところは、世界に一つしかないってことだと思うんです。だれがどんなに頑張ったって、同じ物はつくれないんです。自然の摂理に従って生まれたのもは、世界にただ一つです。人間と同じですね。それゆえ「いい」と言われるんだと思います。有機的で個性的だから。
たとえば具体的にどんなところがいいんでしょう。
まずは木目です。木目の入り方に同じ物は一つとしてないのです。その木が育った環境によって変わります。同じ環境で育ったとしても、日当たり具合、標高差、地形の差によって木目はかわります。成長過程によってもかわります。人間だって、家族みんな同じ環境で育っても、それぞれ性格が違うのと一緒です。日光のぐあいで木肌も違ってきます。色の白いのや濃いの、しみやフシがあったりもします。それも世界で一つの個性なのです。
それから、木は色んなものを吸収します。鼻水もよだれも手垢もなんでも。おもいっきり噛んだら歯型だって残ります。日焼けもするし、膨張も乾燥もする。人間と共存できるのです。そうやって共に歩んでいけるのです。他にそんな素材はありません。思い出と成長の過程がそこに刻まれます。そんなものがいっぱい詰まったおもちゃは世界でただ一つです。
さらに、木は香ります。一番最初の匂いはもしかしたらarumitoyのアトリエの匂いかもしれません。もしくは亜麻仁油の香りだったりそれは分かりません。でもその最初の香りは時と共に消えてゆきます。そしてその後は自分の匂いになっていくのです。それは木そのものの香りかもしれないし、お家の匂いか、お部屋の匂いかもしれない。それもまた成長の過程としてしみこんでいくのです。そんな香りのおもちゃも世界に一つです。
それだけのものを吸収した世界に一つのおもちゃはいつまでたっても大事にしたいと思えます。共に時を過ごし、よりいい色に、より良い香りになっていきます。時と共に変化していくのです。だから大事にできます。それができるのが木のおもちゃだとあるみ氏は思います。
たとえ、このおもちゃの持ち主がオトナであっても同じことです。有機的で個性的な仲間がいつも部屋にいて、あなたとの思い出がしみこんでいるんです。考え事をしながらいじくりまわしたり、電話をしながらなでまわしたり、お客さんを出迎えたり。そんな役目も果たせるマルチな木のおもちゃはとても大事になりますよね。そこに自分の成長過程がプラスされているんですもの。
そのおもちゃがお子さんのものだったとしたらなおさらです。わが子の数え切れない思い出がぎゅうぎゅうに詰まっています。おもちゃのキズ一つもすべて思い出です。それもこれもひっくるめて、あなたの思い出でもあります。だからずっとそばに置いておきたい。
arumitoyが見事にその役割を果たしてくれることを望みます。ずっとずっと大事にされたい世界でただ一つのおもちゃでありたいのです。
(update 2004.10.31)

** この道に至るまで。

そもそも、なんで木のおもちゃづくりをするようになったのか。
するようになったと言うよりは、これをやりたいが為に、ずっと進んできたと言った方が正しいです。要するに、本当は他の事をやっていたけど、こっちの方が面白そうだから本格的に始めたというような、偶然の産物的な生き方ではないんです。
でも本当に最初から「木のおもちゃ」だった訳でもないんです。一番初めは工業デザイナーになりたかったんです。高校1年生の冬ぐらいでした。当時は遊園地の乗り物をつくりたい!と思っていたんです。こどもが喜んでくれるものをつくりたかったんです。でもそれはちょっと大きすぎて自分の手にはおえなさそう・・と思ったので、もう少し小さいものを考えました。そして思いついたのがデパートの屋上とかにある、100円でゆらゆら揺れるあれです。愛らしいデザインで、ちびっこの人気者だからです。それに乗りたいが為に、デパートの屋上に行きたくなるようなあの、「ゆらゆらの乗り物」をつくりたい!と思うようになりました。でも、それってデザインはできるけど、自分の手でつくれないじゃなーい!ということに気が付いて、もっと小さくて、しかも自分でつくれる物にしよう と考えた結果、木のおもちゃにたどり着いたのです。お気に入りに出会うために遊園地やデパートに連れて行って〜とおねだりしなくても、いつもそばにいるよ。一番近くにいるよー。って言えるおもちゃをつくりたいと思いました。いつでもお気に入りと一緒にいてほしい。それが原点です。
その頃は短大生になる頃でした。デザインを学びながら、すべての課題に「こども」というテーマを勝手に結びつけ制作をしていました。実習でつくった作品で今も残っているのはこども部屋用の「いす」です。現役であるみ氏の補佐役を務めています。幾度の引越しにも見捨てられず、今日までついてきています(笑) 当然の事のように卒業制作は「木のおもちゃ」でした。あるみ氏第一号の木のおもちゃはかせきごっこと名づけられ、今ではarumitoyのカオです。(1999年卒業)
さて卒業ということは、社会人になるということです。あるみ氏はドイツに行きたかったんです。日本にいて収集できる情報は数少ないものでしたが、どうもドイツが引っかかる。木のおもちゃとドイツはどういう関係なんだろう。なんで輸入おもちゃの大半がドイツから来ているのか。ドイツはそんなにすごいのか?何がすごいんだ?すごいんだったら行ってみたいな。見てみたいな。修行してみたいな。と思うのはいとも簡単でした。しかしながら、貧乏学生にそんなお金があるわけがありません。しかたがないので、とりあえず就職することにしました。就活をしたのは卒業の1ヶ月前でした。それまで卒業制作にすべてを捧げていたので、何も考えていなかったのです(笑)
でも、まあ何とかなるもんで、おもちゃの企画開発、デザインの会社に就職できました。ドイツ行きの軍資金集めに2年だけ働くゾ!と会社以外の人達に告げて、働きました。その間も、自分の作品を増やすべく、がんばりました。この2年間のノルマは資金調達とオリジナル作品を5つつくる事でした。オリジナル作品5つとは、ドイツに行ったときに、自分の作品を見せる必要があると思ったからです。実際ドイツではポートフォリオ(作品集)をもって旅をしていました。なぜ2年なのか、なぜ5つなのか、今となっては、ナゾでしかありません。当時は念仏のようにそう言ってましたっけ。それから本当に2年だけ働いて、(2年2ヶ月)プツっと辞めてしまいました。
でもその時点で本当にドイツに行く事は考えてなかったんです。とりあえず、ぼーとしてみようと思っていたのですが、その1ヵ月後にはドイツにいました。2001年7月でした。ビザなしで行ったので3ヶ月で帰ってくるつもりでした。3ヶ月だけ語学を勉強しに行ったつもりが、行ってみると、なんと現地でビザがとれることが分かり、気が付いたら5ヶ月に延長していました。そんな訳で、腰をすえてドイツ語のお勉強をすることにしました。4ヶ月だけ。ABCから習いました。本当にちんぷんかんぷんだったのに、4ヵ月後にはドイツ語でおもちゃめぐりの旅をしていたんです。こうなったら、ドイツで修行しなきゃ、ここまで勉強した意味がない!ということで、ドイツ中をうろうろと、修行受入先を探しました。あそこに何かあると聞けば、どんな山の中でも行きました。(実際なにもなかったけど・・)そうこうしているうちに、5ヶ月が経とうとしていました。帰国の期限が迫っていました。結構ブルーな時期でした。このままどうにもならなかったら、日本に帰って何をすればいいの?って。そんなある日、日々、おもちゃ屋さんなどで集めていたおもちゃのカタログを見て、ある工房に電話したのです。来週帰国しなきゃいけないんだけど、会って話を聞いて欲しい。って。先方はびっくりしたでしょうに。唐突すぎますからね。だって想像してみてください。ある日見知らぬ外国人から、会ってくれ、しかもすぐに!って電話がかかってきたら、唖然としません?電話切っちゃいそうですよね。でも、話の分かる人でした。約束の日に飛んでいきました。自分が誰で、何を考えていて、何をやりたくて、どうしてほしいのか。片言のドイツ語で説明したんです。だまって聞いていたおもちゃ職人は、「ここで修行させて!」というあるみ氏に対し、「良し!」と言ってくれました。それがあるみ氏とボスとの出会いです。2001年12月でした。
2002年1月から一年間ボスの下で修行を始めました。ボスの仕事を手伝いながら、空いた時間であるみ用のおもちゃを開発する日々を過ごしました。2002年の9月のある日、ボス夫婦に誕生日に何がほしいかと聞かれ、思わず、ここに長くいられる許可が欲しい!と言ってしまったんです。応えは「好きなだけいろ」だったので、早速ビザ延長の戦闘態勢に入り、さらに1年間の延長が認められたのです。結局、ボスの下で2年間お世話になりました。2年たった時点で、まだ延長することは可能だったのかも知れませんが、次の段階に進もうと思って、帰国する事にしたんです。(2003年11月)
そして、久々の日本生活が始まりました。日本で、自分のアトリエを持つため帰国し、頑張る事にしました。それから4ヶ月、工房にできる物件を探し回りました。なかなか見つかるものではありませんでしたが、今思えば、ドイツで修行受入先を探す方がよっぱど大変だったな・・・。そうして、やっと2004年3月に京都府の加茂町にアトリエをオープンさせることができました。
そんな訳で、あるみ氏はずっとずっとこれがやりたくて、歩き続けているのです。
(update 2004.10.26)

あるみ氏のドイツ生活の全容はレポートのページに記載されています。リアルタイムで発信していたレポートです。語学偏と修行偏に分かれています。

** arumitoyとはなんでしょう。

あるみ氏、本名は前田歩未(まえだあゆみ)のつくっているおもちゃという意味なんですけど、それを縮めて英語にしただけです。「あるみ」というのは昔からのニックネームで、歩未(あゆみ)をまともに読むと「あるみ」となるからそう呼ばれています。ちなみによく間違われる「アルミニウム」は英語で書くとaluminumですので、アルミニウムのおもちゃという意味では決してありませんよ。
(update 2004.10.26)




home